自分の葬式について考える

「私の葬式」を読んだ感想

2022年10月16日(日)私はYouTubeチャンネルこちこの部屋に動画をアップしていました。

ちょっぴり怖い文学作品の朗読。

坂口安吾作「私の葬式」です。

簡単に内容を説明すると、昭和初期に活躍した無頼派の代表的作家坂口安吾のエッセイになります。

「自分が死んだ後に事務的な処理をする他、余計な事をされるのは、こうして考えても恥ずかしい。自分の葬式はしなくて良い。然る後にどんちゃん騒ぎをやってくれ」という明るすぎる葬式の依頼状みたいな文面です。

私の感想としてはこの葬式の依頼状、自分の奥さんではなく愛人に向けて頼んでいるのが切なくなってしまいました。

まるで愛人へのラブレターのようにも感じる作品でした。

私は女性だからか奥さん側の視点でも見てしまいます。

私が奥さんだったら“お願いするのは私じゃないんだ・・・”って思ってしまいそう。

逆に愛人の立場だったら“お願いされた通りにやってあげたいけれど奥さんがいる人だし、そちらの家族が許してくれるわけないじゃない”と思いながらも“私の方が愛されている”という優越感に浸るのだろうか?と想像してしまいました。

今回の作品は安吾の周りにいる女性陣の視点に立つと複雑な感情が思い巡らされます。

私は坂口安吾の作品が大好きなのですが、男性でお金持ちの有名な作家だと、どうしても独りよがりで自分勝手のように感じてしまいました。

どこまで本心で語っているエッセイなのかはわからないけれど、残された奥さんや子供もいて、作品を世に出すという事は、その人たちもこのエッセイを読むだろうに、周りの人たちの気持ちはお構いなしなのだろうか・・・。

けれど安吾は「誰にどう思われたって良い!思った事を書いたまでだ!!」と豪快な男性だったから、自分の意志を貫いた文面を書いたのかもしれませんね。

そして私もこの作品を読んだ事で自分の葬式についてあらためて考えさせられました。

自分が死んだ後の葬式ってどうしてもらいたいかなぁ?と考えた時、私も安吾と同じで葬式をしてほしいという願望はなかったです。

死んでしまったらどうせ自分では自分の葬式を見れないし、正直どうでも良いというのが本心で、自分の葬式にはあまり興味がないです。

しかし仮にもし自分の大事な人を残して先に死ぬ事になったら、その大事な人には早く別に好きな人を見つけて幸せになってほしいと思いました。

なぜならどんなに泣かれてもこの世にいないし、死んでしまえば生き返ってあげられない。

だったらすぐ別の幸せを見つけてほしい・・・

でも完全に忘れられるのはちょっと寂しい気もするから、1年に1回くらい思い出してくれればそれが本望かなと思います。

皆さんは自分のお葬式、どんな風にされたいですか?

こちらの作品での安吾の思いとは裏腹に安吾のお葬式は盛大に施行され、どうやら安吾の願いはかなわなかったようです。

 

▼【朗読】「私の葬式」坂口安吾はこちら

 

 

 

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4件のコメント

私も,自分の葬式は不要だと思っているので、いずれエンディングノートにその旨を書いておかなければと思っています。
幸い、親戚付き合いもほとんどなく,身内からあれこれ言われることもないので、そういう面では安心ですね(^ ^)

今話題の宗教で「先祖が〜」という話が出るということですが,子孫を苦しめる先祖は不要だと考えています。
特に信仰する宗教があるわけではないですが、誰かに何か言われても、献金などすることがないよう、家族にも伝えています。

utokyo318様✨
お葬式やお墓って、どちらかというとお坊さんのためにあるような気がして…私も自分の葬式は不要に思います。そういう意味でも、ウチの両親の墓じまいに私は大賛成でした。
子孫を苦しめ、死んでまでお金を要求してくる先祖ならいらないですね。生きている人の方が大切で、いない人にまで無い袖は振れません!

おはようございます

私もエンディングノートを書かないといけませんよね!

葬式は嫌でも来ますから
私も遺言を忘れずに書かないとです⚠️

死後の世界はどんな所かなぁww

がちょー様✨
我々生き物は生まれた瞬間から死に向かって歩んでると思うと、なんだか不思議な気持ちになってしまいます。
死後の世界はあるのでしょうか。
もし有るなら、素晴らしい場所であって欲しいですね(^ ^)

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