515号室に住む親子

投稿怪談

2023年12月3日(日)

YouTubeチャンネルこちこの部屋に新作動画をアップしました。

今回は投稿怪談!!!!

515号室に住む親子です。

投稿してくれたのはYouTubeチャンネルこちこの部屋ではお馴染み“霊感の強いバスの運転手稲之介様です。

ぜひ皆さんにご視聴いただけると嬉しいです。

 

▼【投稿怪談】515号室に住む親子

 

投稿怪談への感想

「515号室に住む親子」で私が一番に感じたのは“稲之介様の文章力がさらに向上している”です。

文章には「〜です」「〜でした」のように語尾が丁寧に終わる形と、「〜だ」「〜である」のように言い切る形があります。

文章を書く上で、作家の“どうしても”というこだわりがない場合、こちらの用字用語はどちらかに統一したほうが良いです。

むしろ統一すべきです。

皆さんがご存知の通り、私もブログを書いています。

私がブログを初めた頃、用字用語という言葉すら知りませんでした。

なので「〜です」「〜でした」と「〜だ」「〜である」を混在させ、ブログを書いていました。

私のブログは、有難い事に作家の先生たちも閲覧してくださっています。

ある時、何人かの先生に文章の用字用語は統一した方がいいと同時期に指摘を受けました。

当時、私はブログを書き始めたばかり・・・

「別に私は作家じゃないし、論文を書いてるわけじゃないんだから、そんなの言われる筋合いはない!」と、いつもの如く毅然と反抗したわけですwww

けれどいろんな人の文章を読んだり、怪談朗読で文豪の書く怪談を朗読していくうちに“物語を書く人の文章は、用字用語が全て統一されている”と気付きます。

それからというもの、用事用語が統一されていない文章を見ると違和感を覚えてしまい(^◇^;)

自分もブログの文章を書く時は、女性的に「〜です」「〜でした」と丁寧な言葉で表現する形に変わっていきました。

私自身、文章を書くのは得意ではないものの、自分がブログや朗読を続けてきたおかげで、文章の分析力がレベルアップされ、他人の文章力の向上や良し悪しが分かってしまうのです。

話を稲之介様に戻しますと、彼の文章は投稿怪談の回を追う毎にどんどんブラッシュアップされていき、今では「もっとこうした方がいい」とケチをつける箇所がありません。

そして怪談は、聞いている人たちに情景を連想させることが“肝”だと私は思っているのですが、稲之介様はその情景を細かく2回も3回も伝えることで聞き手に印象付けをするというテクニックを駆使しています。

これは純粋に“凄い!”と思いました。

 

投稿怪談の怪異で思い出した話

「515号室に住む親子」

こちらの内容に関しては、実話なだけに“これはこういうことだ”という決め手はきっと体験された稲之介様にもわからないと思います。

私自身も原稿に初めて目を通した際“いろんな考察ができる、想像を膨らませられる話だな”と思いました。

ちなみにこの怪異と遭遇したホテルは十和田湖近くにあるホテルだそうです。

投稿者の稲之介様の考察としては『何かを(怪異に)見せられてた、場所に焼き付いた記憶?行き着く答えはそれしかないんだよ』とおっしゃっていました。

『恐怖とかではなくただただ不思議な体験だった』との事。

YouTubeに「515号室に住む親子」をアップすると、視聴してくださったリスナーさんたちがそれぞれの感想や考察をコメント欄にくださいました。

その中でも私が“なるほど~”と唸ったコメントがあります。

Xにリプライをくださったすなちゃん様の考察です。

すなちゃん🌈
色んな想像をしちゃいますね😨
たぶん、その女の子は毎日、同じ事を繰り返しているんだろうな・・・😱
まるでループするビデオテープ📼のように・・・

私はこちらのリプライを読んだ瞬間、ゾワッと鳥肌が立ちました。

以前何かの記事で「事故で亡くなった方は、霊になっても事故のシーンをその場所で何度も再現している」と読んだ事を思い出したからです。

亡くなって霊になっても魂は衝撃的な瞬間だけを記憶してしまう・・・なんて想像すると、切なくなってしまいます。

それから「515号室に住む親子」で、もう一つ思い出した話があります。

過去に私のブログで紹介した残留思念についてです。

私は地方のお寿司屋さんで好きなお店があり、そのお寿司屋さんの大将とよくスピリチュアルな話をするのですが、その大将のエピソードが、今回の稲之介様の体験に近いかもしれません。

亡くなった方の思いや念は情念としてその場所に残るのでは?と私が感じた内容です。

よかったらチェックしてみて下さい。

 

▼お寿司屋さんの大将のエピソード「残留思念」はこちら

 

昔の人の思いが、今もその場所に残っている・・・

不思議な現象だけれど、あるような気がしてなりません。

「515号室に住む親子」の稲之介様の体験も、大将同様、昔の人の残留思念をキャッチしてしまった?

これは興味深い体験です。

 

 

スポンサーリンク

4件のコメント

常体と敬体は、どちらかに統一するのが基本とは言われますが、部分的に混在させることで、内容が強調される効果もありそうですね♫
常体は、簡潔で説得力がありますし、敬体はていねいな感じがするので、内容に合わせて決めるのも良いのかもしれません。

霊のことも、まだまだ解明されていないですね。
自分が死んだら、安らかに過ごしたいなと思ってしまいます(^_^;)

utokyo318様✨
出版のお仕事をされてる方も「作家のどうしても!というこだわりがあって、意図的に常体と敬体を混在させてるならOK」と言ってました♪私はどちらかというと常体の文章の方が好みです♡
亡くなった人の思考や思念が場所に残る…。
心霊現象は本当に不思議です(*´-`)

おはようございます♪
記事も拝見しました。
アパートや部屋、建物にまつわる怖い話、ありますよね!
その中でも515号室も怖い話でした。
しかも、リアルなので、ゾクゾクしましたよ。
執着した幽霊のお話でした(・・;)

がちょー様✨
仰る通り!!!!!!
“執着した幽霊”なのでしょうね(*’▽’*)
まだこの世を彷徨っているという事は、成仏していないわけです。
もしかしたら亡くなった事に気づいてない可能性すらありますね☆

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です